江戸時代も女体化が流行ったらしい

三島由紀夫が愛読していたと言われる「葉隠」っていう本では、最近の男子の女体化が嘆かわしいとか書いてあったとかなんとか。

葉隠の執筆者である山本常朝が現代日本を見たら憤死するんじゃないかって思ったんだけどどうかなあ。

それにしても平和になると男が女体化を目指すのはなんでだろうか。

なんでだろうかってわざとらしく書いてみたけど、その理由について真面目に書いたら差別主義者のレッテルを貼られそうなので黙っておくのが良い気がした。

が、まあ当たり障りのないことなら書いても問題なさそうなのでちょっとだけ思ったことを書いておく。

男というのは暴力、身代わり、貧乏くじ、痩せ我慢を強いられる性別なので、それを投げ捨てたいってのはわからんでもない。

例えば自分に男と女の部下がいて、どう考えても割に合わず、担当するメリットもなく、ただしんどいだけの仕事を割り振らないといけない場合、迷わず男を生贄に捧げると思うし、男の部下がいなかったら自分を身代わりにするだろうなって思った。

どちらの性別にも耐え難い辛さってのはあると思うので、どっちかが辛い!ってのを言いたいわけではないが、まあ、男ではない時間ってのが安らぎになるんだろうなって思った(その逆もしかり)

これが戦時中なら男であることの美徳もある程度認められるが、一応今は平和なので男らしくあることの価値ってのが下がっているんだと思う。

平和な世の中では警察や軍隊が要らないように、男らしさも要らなくなるんだと思う。

それが悪いことだとは思わないので、みんな女体化すれば良いんじゃないかな?

自分は女々しいのがあんまり好きじゃないので、とりあえず気合でファイトだ!って思っている。

明日も頑張ろう…。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
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